目覚め
隣人夫婦の諍いに聞き耳を立てたり、半分認知症が入っている向かいのお婆さんの行動を観察したり……といった日々のルーティン・ワークにもだんだん飽きてきた年の暮れ、『そうだ、何かを始めよう』と考えた。一歳半の甥っ子からも気軽に顔をはたかれるわたしは『もしかしたら人間界最弱の存在なのかもしれない』と常に己の気の弱さを憂いていた。どうにかしてこの“気”を強くして一歳半から見下されない人間になりたい。
今まで避けてきた“スポーツ”を始めるのはどうだろう。“スポーツ”をやっている人で気の弱そうな人をあまり見かけたことがないように思う。
不審
階段を降りて居間の戸を開けると、父が仰向けに寝転がって“カラマーゾフの兄弟”を読んでいた。偏った見方にはなるが、カラマーゾフの兄弟とは
・将来に対する漠然とした不安
・自分は何者にもなれないかもしれないという焦り
・劣等感
・ルサンチマン
・コンプレックス
など、この世に存在する一番面倒くさい類の思念を両手いっぱいに抱え込んだ中学二年生や大学二年生が、その気持ちを原動力として一気に読破したりまたは読み切れず更に落ち込んだりする、とてもカロリーの高い読み物だと思っていた。
人生の折り返し地点もとうに過ぎ、穏やかな老後目前の我が父親がどうしてそんな本をのび太がコミック読む時のスタイルで鑑賞しているのか皆目見当がつかない。
しかし分からないのはきっとわたしが読み切れず更に自己嫌悪に陥った方の大学生だったからだろう。読破した側の人間には、老後を前にしてもう一度カラマーゾフを手に取る気持ちが分かるに違いない。
「“気”が弱いのを直したいんだけど、どんなスポーツをするのがいいかなあ」
“自分で考えずすぐに人に聞いてしまう”、これもカラマーゾフを読破したことがない者の悪癖かもしれない。父は“兄弟”を脇に置き、読破したことのないわたしに向かってこう言った。
「合気道がいいんじゃないか」
合気道……頭の中で袴姿のヤギひげ翁師範がすぐに浮かんだ。
怖い。習うとかいう前に目を見ただけで泣いてしまうだろう。
「なるほどね」
“兄弟”の元に戻る父を見送りながら居間の戸を静かに閉めた。
裏切り
父が読書を中断してまで答えてくれた合気道を密かに脇に押しやり、コンピュータで色々調べているうちに「カポエイラ」に辿り着いた。カポエイラとは……
・アフリカからブラジルへ奴隷として連れてこられた人々から生まれた格闘技
・看守にバレないよう、踊っているフリをしながら伝えられたのでダンスの要素も多い
・足によるアクロバティックな動きが多いのは、手を縄で拘束されていたから
というものらしい。全部wikipediaに書いてあった。wikipediaを鵜呑みにするのはまさにカラマ未読者の特徴だろう。もうスポーツを始めるよりカラマーゾフを読破した方が色々とタメになる気がしてきた。
YOGA
いつも通っている鍼灸の先生にカポエイラを始める旨を報告しに行くと、「佐田さんの身体には今エネルギーがほとんど無い」「その状態で激しい運動をすると逆にエネルギーを奪われてしまう」という。“気”や“エネルギー”のことに詳しい人に「あなたはエネルギーがほとんど無い」と言われるのはとてもショックだった。
美輪明宏さんにオーラを見てもらおうと近寄って行ったら「悪鬼滅没!」と叫びながら塩をまかれる……そういう時の痛みと多分同じ痛みだ。
「エネルギーを増やせるようなスポーツはありますか?」と尋ねたら、「ヨガ」が良いのだという。
YOGA……ヨガなんてもう皆やっているだろうし、今更始めてもブログのネタにならない。道で出会った人に自慢できない。
SATORI
そう考えていて気付いた。わたしは今まで『他人にこう見られたいから』『自慢できそうだから』とかいう基準で何かを選ぶことが多かったのではないだろうか。吹奏楽部に入る時も、「一番音が大きくて目立てそうだから」という理由でトランペットを選んだ。サークルや恋人などを選ぶ時も『他人からどう見えるか』に気を取られていた気がする。
結果、軸が自分ではなく他人にあるので思い入れもそこまで生まれずすぐ辞める……の繰り返しで、いつまでも“自信”が身に付かない。
わたしの人生は外面だけきれいで中身がスカスカの張りぼてのようなものだったのかもしれない……だから一歳半の赤ちゃんにも見下されるのだろう。
今年は自分にとってタメになること、自分が本当にやりたいこと……を意識しながら生きようと思った。
よって今年やりたいことは
・エネルギーを増やす(1月中にYOGAを始める)・「カラマーゾフの兄弟」を読破する
・「罪と罰」も読破する
・ブログを書いて自分と向き合う機会を増やす
です
長い新年のご挨拶となりました
本年もよろしくお願いいたします。